全日まで2週間となり、組合せも決まった。
ただ肝心のトップチームはというと、体調不良だったり、私用だったりで全員集まることもなく、週末が終わった。
2ヶ月前から準備していたフェスティバルも、主催チームがベストメンバーじゃないと、ちょっとどうかなと思うが・・・。
でも、一昨年、昨年とその子の将来のために、心を鬼にして言いまくっていた部分を、今年はあえて言わないようにしているところもある。
受け止める器が大きくないと無理に水を入れてもこぼれるだけだから・・・。
今日は久々にキッズの試合に帯同した。
どのチームもメインでコーチングする気はなく、お手伝い気分でいたら、一番大変なところを任された(笑)
応援で参加してくれる子も多く、初めて会う子もいたし、サッカーをあんまりやっていない子もいた。
とりあえず、盛り上げ役だけやって、あとは頑張るでしょと思ってたら、こっちの予想以上に頑張る(笑)
全員出して経験させてあげれば、結果は二の次かなって思ってたら、意外と頑張るので結果もまずまず残った。
お見それしました(笑)
他のカテゴリーも、練習していることをしっかりと出せているようで良かったんじゃないかな。
それぞれが、それぞれの速度で成長してくれればいいからね。
で、ヘトヘトで帰ってきたら、一本の電話が。
俺の指導者人生に大きな影響を与えてくれた選手が二人。
そのうちの一人からだった。
大学4年生で、関東の大学で頑張っているOBだが、「今日でサッカーを引退しました」という報告の電話だった。
最後の一年間は全治8ヶ月の怪我を負い、満足にサッカーできなかったようだけど、それでも最後までやり遂げました、と。
私が影響を受けた二人の選手はどちらも「天才」だった。
そのうちの「努力の天才」が、今日サッカー人生を終えた。
小学生時代は、ランドセルを玄関に置いて海に一人で走りに行き、朝早起きしては毎日ボールを蹴っていたらしい。
4年生の頃からずっと。
電話では、「自分の原点はやっぱりディラで、ディラの時が一番がむしゃらだったし、一番楽しかった。どんなに遅くまでボールを蹴ってもそれを努力とすら思っていなかった。」と言ってくれた。
幸せなことに、たくさんの素晴らしい選手を指導してこれた。
そして、多くのOBが苦しい中に活路を見出し、成長していってくれた。
昔と比べて、今は戦術も進化し、格段に「教わりやすく」なっている。
いつでも海外サッカーの試合をネットで観れるし、憧れの選手のプレー集を見ることもできる。
土のグラウンドよりも、人工芝、天然芝で試合することが多くなったし、当たり前のように数万円するスパイクを履いている。
でも、本質は変わらない。
指導者初期の頃に二人の選手に出会い、指導に携わり、教えながらも教えられ、そんな経験ができたことは、何にも勝る財産だったと思う。
ディラがディラらしくあるために、もっと言えばディラらしさっていうのを作り上げるために、これまでたくさんの人が尽力してきた二十年間。
その土台の上でやる今の子達は、めっちゃラッキーだ。
時代が変わっても、大切なものは守り抜いて後輩たちにその姿を見せていってほしい。
全ての感情をぶつけながら、切磋琢磨し、指導者と選手という枠を超えて、本気でサッカーできる選手といつかまた巡り会いたいなあ。
お疲れ様。